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2022年09月21日

あの宝塚歌劇団に「男子部」があった。

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ここ西宮は、宝塚とご近所であります。

阪急電車で、ヒョイヒョイ行けてしまう距離であります。

私のように、寺や神社が好きな人間にとって宝塚といえば、

清荒神さんや、中山寺さんなどが思いうかびます。

手塚治虫さんも、当然思い浮かんでしまうのです。



まあ、普通は「宝塚歌劇団」ではないでしょうか。

我が家の女子たちも、この宝塚歌劇団が好きであります。

劇場にたまに行ったり、テレビ番組を録画したり、

DVDを見たりしております。

恥ずかしながら、私はちゃんと見に行ったことがありません。

 

私が知っている宝塚とは、宝塚歌劇団を引退した女優さん、

つまり映画やドラマやCMで活躍している方たちであります。

年齢をかさねても、とても高いレベルで「美」を維持している

凄い女性の方たちという印象であります。

 

さて、この宝塚歌劇団は、創設100年以上になるそうです。

これまでに、多くのトップ女優を世に輩出してきたわけであります。

宝塚音楽学校を卒業した「タカラジェンヌ」と呼ばれる未婚の女性だけで

舞台を構成するわけであります。

この音楽学校に入るだけでも、とても大変であります。

熱烈なファンが多いのも、その特徴かと思います。

 

この宝塚歌劇団の長い歴史の中で、

男性団員がいたことは、あまり知られていないかと思います。



宝塚歌劇がスタートしたのは、1914年の4月1日のことです。

当時は、阪急電鉄の前身にあたる箕面有馬電気軌道の創業者だった

小林一三さんが、沿線開発の一環として宝塚駅に「宝塚新温泉」を開業しました。

そこで温泉客向けのプールを改造した劇場で、

少女歌劇の公演を行ったことが始まりだそうです。

当時はあくまでも余興という位置付けだったこともあり、

観覧は無料だったようです。

斬新な歌と踊りによる華やかなその舞台は、

瞬く間に注目を集めたようです。

そして、1924年に4000人収容の「宝塚大劇場」が完成すると、

宝塚歌劇団の人気は不動のものとなっていくわけであります。

 

しかし、太平洋戦争が長く続く中で、劇場も閉鎖となっていきます。

公演を再開したのは、終戦直後の1946年のこととなります。

 

これと前後して、創業者の小林一三さんは、

なんと「男子部」の結成を提案するわけです。

1945年に、一期生が5人入団しました。

そして、1952年までに計25人が入団し、

宝塚音楽学校などで、歌やバレーのレッスンをしていたみたいです。

しかし、「男子部」は結成からわずか8年余りで解散ということになってしまいました。

 

その理由は、「宝塚の舞台に男性は似合わない」とか

「男役がいれば、本物の男性は必要ない」といった、

宝塚ファンや女生徒たちの反発の声だったとされています。

 

ということで彼らは、カーテン裏からコーラスに参加したり、

舞台装置を動かすなどの裏方の仕事をしていたようです。

結果的にこの流れが、今日の宝塚歌劇団のカタチをつくりだし、

その不動の人気につながったと思われます。

 

これからも頑張ってもらいたいと思います。
杉山整体

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