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2022年09月28日

みんな大い好き「お好み焼き」の最初とは?

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なんとなく定期的に、ソース味のモノが食べたくなります。

食べたいな~と思うと、

その日はもう口がソース味なのであります。

そんな時は、タコ焼き、焼きそば、

中でも「お好み焼き」を好んで所望するわけです。

私の場合は・・・。

どうしてお好み焼きかというと、

キャベツがいっぱい入っていて、

食としてのバランスがとても良いと感じる上に、

味的にもとても好きという理由からでしょうか。

このバランスの良い私好みの「お好み焼き」は、

最初はどんなモノだったのでしょうか???

諸説あるかと思いますが、

グッと時代をさかのぼってみるとします。



千利休といえば、日本で一番有名な茶人であります。

織田信長や豊臣秀吉に仕えていたことでも、

よく知られております。

戦国時代、千利休は時代の最先端の茶人として知られており、

新しいモノ好きであった織田信成は、

特に徴用しておったようです。

戦(いくさ)しか知らない武士たちに教養を付けさせるために、

茶道を学ばせたと言われております。

その後、豊臣秀吉からも大きな信頼を勝ち得た利休は、

政治の世界でも発言力を高めていくほどになっていきます。

千利休の何がすごかったのでしょうか?



それは彼が数々の発明をしたから・・・、

という解釈もされています。

もっとも有名なのは、

「わび茶」と呼ばれる茶の様式を完成させたことでしょう。

 

当時の茶道とは、

高価な茶碗や、きらびやかな茶室を用意することが主流となっていました。

しかし、利休は派手な演出をいっさいそぎ落として、

お茶そのものを楽しむスタイルに変えていきました。

それだけではありません。

利休は「ふの焼き」という茶菓子も、

発明したとされています。

小麦粉を水で溶いたものを平鍋に入れて薄く焼き、

味噌をぬって丸めた食べ物であります。

利休は自身が開く茶会で、

何度もこの「ふの焼き」をふるまったそうです。

 

この「ふの焼き」が形を変えて、

みんなが知っているあの「お好み焼き」になったと

言われているのであります。

 

さて、味噌を塗って丸めるだけの「ふの焼き」は、

江戸時代になると「あん」を巻いて食べるようになります。

これは「すけそう焼き」と呼ばれました。

明治時代になると、「すけそう焼き」が

「もんじゃ焼き」として大流行したそうです。

そして昭和の初期、一般の人びとにも洋食文化が花開き、

ソースが使われるようになって「お好み焼き」が生まれるということです。

千利休は「こなもん」の元祖って感じになりますかね~。



余談ですが、千利休はとても背が高い人だったようです。

そのころの日本人の男性の平均身長が150センチ台という時代に、

178センチあったと言われています。

なんとなく、おっとりやわらかな感じの人物像かと思いきや、

大きく迫力があったようであります。
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