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2024年03月20日

日本のお米文化

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日本人は、昔からお米を食べる習慣があります。

それはいったいいつの頃からなのでしょうか?

私たちにとって主食となっているお米・・・。

tそのルーツとは・・・。

 

●縄文時代・弥生時代

日本人は縄文時代からお米をつくり、

土器でお米を煮て、お粥のようにして食べていたようです。

本格的に栽培が始まったのは、

弥生時代からだと考えられているそうです。

当時は雑穀の一つとして知られる「古代米」(黒米、赤米、紫米)が、

食べられていました。

そして、弥生時代には現在の玄米に

近いものとなっていったそうです。

時々お粥がお腹に優しく感じたりするのは、

むかしのDNAの記憶なのでしょうか。

 

●7世紀~平安時代

7世紀ごろから、お米を「蒸す」技術が現れ、

奈良時代、平安時代の貴族たちは、

「強飯」(こわいい)という現在の”おこわ”の

原型のような、固めのご飯をたべていたようです。

この頃から農民たちは、お米を年貢として納めていました。

農民たちは満足にお米が食べれないため、

節約目的で、ひえ、あわ、きび、大麦類などの

雑穀を栽培するようになりました。

ところがそのおかげで、

農民たちは貴族よりも栄養状態がよく、

健康であったという説もありますが・・・

どうせしょうか・・・。

 

●鎌倉時代

やっとご飯を「炊く」技術が生まれます。

厚手の鉄の釜に、重たい木製のフタをして、

それをかまどにセットするスタイルであります。

蒸したご飯は「強飯」(こわいい)に対して、

食べやすい「炊いた」ご飯は「姫飯」(ひめいい)

と呼ばれていたそうであります。

私たちが食べているご飯の原型であります。

 

●室町時代~戦国時代

平安時代に誕生した発酵食品が本格化して、

ご飯のお供として、醬油や味噌の製造が確立していきました。

野菜を塩や米ぬかに漬けて保存する漬け物文化も、

この時代に定着したそうです。

戦国時代には遠征の多い武士たちのあいだで、

炊いたご飯やおむうすびを乾燥させた

「干し飯」(ほしいい)が生まれます。

これは「干し飯」を水でもどして食べるという、

現代のインスタント食品の原型となるものです。

 

●江戸時代

江戸後期になってようやく一般庶民も

白米を食べるようになりました。

ウスを使った精米機や、

大量に精米できる水車の技術が普及しました。

江戸時代後期の江戸の町では、

朝にまとめてご飯が炊かれていたそうです。

そのころに「冷やご飯」を美味しく食べるレシピが残されました。

握り寿司はその一つで、巻き寿司やいなり寿司も

この時代に登場しています。

 

●明治時代~昭和初期

明治時代から大正にかけて、

海外から洋食文化が入ってきて、

ご飯を中心とした「オムライス」や「カレーライス」などの

日本独自の洋食が出来ました。

そして大正時代後期には、

「お腹いっぱいお米が食べたい」という国民の願いが叶い、

一人一日平均、お茶碗10膳前後ものご飯が

食べられていたと推測されています。

それなのに、今より肥満や糖尿病になる人は、

少なかったみたいであります。

ご飯中心の食生活は、昭和初期にも引き継がれていきます。



●昭和中期~後期

戦争が終わると時代とともに経済が成長し、

食文化も豊かになっていきます。

ガス炊飯器や電気炊飯器がでてきます。

しかし最初の頃は、保温機能が無かったので、

冷やご飯を食べることっが少なくなかったそうです。

ちなみに保温機能がついた炊飯器は、

昭和47年に登場しています。

 

実は、冷やご飯には温かいご飯にはない

「レジスタントスターチ」という成分が含まれています。

これは身体にとても良いヤツであります。

「レジスタントスターチ」は小腸では消化吸収されずに、

そのままダイレクトに大腸に届くため、

野菜や雑穀、豆類などに含まれる食物繊維と

ほぼ同じ働きをすることが分かっています。

冷やご飯を意識的に食べることはアリであります。

「おにぎり」推奨しております。
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